大磯町のイメージ画像
大磯駅から旧東海道を通り高来神社まで(後編)
■松並木には虎女が化粧に使った「化粧井戸」が

東海道、江戸から16番目の一里塚を過ぎると、右手に化粧井戸(けわいいど・けしょういど)がある。
曽我の十郎の恋人であった虎女が、化粧をする際に、この井戸の水を使用したといわれている井戸である。虎女は、十郎が仇討ちを遂げるまでの2年間、および晩年を大磯の地で暮らしている。
この化粧井戸がある松並木のだらだら坂を化粧坂という。前回の中編では、化粧坂という地名は全国にあり、身を整える、という意から「境界」を表すことが多いと記した。だが、大磯の場合は、化粧井戸があったので化粧坂と名付けられたのだろう。このあたりが大磯宿への宿場入口であったのは、江戸時代のことで、鎌倉時代では、化粧井戸付近が大磯の中心だったということだ。

曽我十郎の恋人・虎女が化粧につかったという「化粧井戸」 鴫立庵に安置されている虎女の像。初代庵主の頃に、堂も木像も江戸吉原から寄進されたと伝えられている。
■「旧東海道の松並木」と言うけれど、大きな松は少なくて……

化粧井戸のあたりから、改めて松並木の旧道を振り返ると、夏なら気づかないかも知れないが、落葉樹が葉を落としている季節だと、松の木の幼さが目につく。
滄浪閣跡などがある国道1号線の松並木と比べると、この旧東海道の松並木は大きな松が極めて少なく、エノキの大木が目に付いてしまう。
松くい虫の被害で、昔からの松はやられてしまい、町では新たな松を植えている。
『照ヶ崎海岸入口から八坂神社まで海沿いの別荘地帯を歩く』(後編)で書いたように、町では、この松の苗木を購入するのに、22年度は12万円の予算を計上している。
枯れた松を伐採した後には、できるだけ新たな松を植え直している。新たに植えられた松は、松くい虫などに耐性がある抵抗性の松であり、これらの松もたぶんそれであろう。
町の至る所に生えている松の木は、大磯の景観をつかさどる上でとても重要なものである。
このあたりの通りも『かながわのまちなみ100選』にも選ばれており、町のマップなどでも「旧東海道の松並木」として紹介されている。時とともに立派な松並木に育ってほしいと思う。

常緑樹である松の大木が少ないので、冬になると「松並木」と言うには、少し寂しい よく見ると、まだ若い松の木、随所に植えられている。松くい虫に強い抵抗性の松だろうか。

■通り沿いの樹木が、いい情景を描き出している
この旧東海道を歩いてみて思うのは、本当にのんびりしていることだ。交通量が少ないこともあるが、道自体がいい。立派な松の木が少ないのは残念であるが、エノキの大木が多く、町の努力もあって背の低い松の木ならたくさん植えられている。
それに何より、この道にはガードレールなるものがない。道路と民家の間には、ゆったりとした松並木の緑地帯があり、それがこの旧街道の穏やかな雰囲気をかたどっている。たぶん地元の人たちの協力もあるのだろう。よく見ると、松やエノキの他にも、庭木になるような、いろいろな樹木が植えられている。
町の雰囲気や景観は一朝一夕にはつくれない。歴史や文化を踏まえ、町がいくつもの規制を打ち出し、長期視点のグランドデザインを描いたとしても、実際には、そこに住んでいる人たちの意識がものを言う。
何度も言うようだが、広大な別邸後がマンションや住宅地になってしまうのは、避けられない現実だ。開発業者の人も、大磯という町のイメージを勘案して、開発の見取り図を描いて欲しい。そして、そこに越してきた人もまた、大磯という町の雰囲気や景観をできうる限り維持・再生してほしい。

旧東海道松並木は「歴史のまちなみ」の部で「かながわのまちなみ100選」に選ばれている。  通りと民家の間にある並木の緑地帯。このゆったりとした緑が通りの雰囲気を穏やかなものにしている。

■樹齢300年以上、町の史跡名勝天然記念物「ホルトノキ」
化粧井戸を過ぎると、国道1号線にぶつかる。
交差点名は昔からの呼び方である「化粧坂(けわいざか)」であり、すぐ近くの国道1号線沿いにはバス停「化粧坂」があり、こちらも読み方は「けわいざか」である。
この交差点から、国道1号線を東へ200メートルも歩けば、高来神社の入口に着くが、その前に北へ向かい、町の史跡名勝天然記念物に指定されているホルトノキ(ホルトの木)に向かうことにする。
化粧坂交差点から高麗山方面へ向かう、まっすぐな道がある。幅は4メートルほど。山に向かっているので、なだらかな上り坂になっている。
この道を200メートルちょっと行くと突き当たり、道は直角に左に折れる。この曲がり角にホルトノキはある。樹齢は推定300年以上。高さ18メートル、樹冠の広がりは20メートルに達する。
千葉県以西の暖地に生息する常緑高木であるが、県内ではこれほどの古木は珍しいという。それにしてもホルトノキとは奇妙な名称である。
それに関して、2006(平成18)年2月9日の朝日新聞朝刊の『花おりおり』というコラムに名前の由来が掲載されている。それによると、「ホルト」はポルトガルの転化だという。平賀源内は紀州の湯浅町でこの木を見て、果実が似ていたためにポルトガル由来のオリーブと誤解してしまったそうである。つまり「ポルトガルの木」が「ホルトノキ」になったというわけだ。


ホルトノキの語源の由来を紹介した朝日新聞のコラム、「花おりおり」平成18年2月9日版。筆者は東京農業大学の教授である湯浅浩史。植物に関する著書多数。
町の史跡名勝天然記念物にもなっているホルトノキ。樹齢は300年以上。
旧東海道からホルトノキへは、そば処「車屋」のすぐ向こうの道を登っていく。 化粧坂交差点。ここから高麗山へ向かう一本道の先にホルトノキが ホルトノキへ向かう途中の十字路。右のカーブミラーの着いた電柱は、なぜか木製であるかのようなカモフラージュが。
■画家・堀文子が私財を投じて守った古木

じつは、このホルトノキのすぐ脇に画家・堀文子のアトリエがある。
なぜ、この場所に画伯のアトリエが? 偶然ではない。
そもそもの始まりは、この古木が建っていた土地を持ち主が屋敷ごと売り出したことに始まる。売り出したことにより、この古木も伐採される運命となった。樹齢300年とも500年とも言われている古木である。
すでに、この古木のすぐ上に、自宅を構えていた彼女は、なんとしても古木の伐採を回避しようとした。町や県に掛け合うこと、およそ2年間。しかし交渉の甲斐もなく伐採は中止できない。万策尽きた彼女は、ついに財産をつぎ込んでこの土地を購入し、古木を守ったのである。その際に、軽井沢にあったアトリエも、イタリアのアレッツォにあったアトリエも処分してしまったのではないかと思われる。
購入時期は彼女が80歳代の半ば、おそらく2000年頃ではないかということだ。
以上のことは、大磯ガイドボランティア協会からお聞きしたものである。いつもながら、大した情報通である。
後年、堀文子は自らの人生を振り返った回想録を書いている。タイトルは『ホルトの木の下で』。2007年、幻戯出版より出版されている。

ホルトノキの向こうにある白い建物が堀文子のアトリエ
自宅はこのしおり戸の先に 今ではめったにお目にかかれない木の電柱。久しく見ていなかったせいか郷愁を誘う

■高麗寺から高麗神社に、そして高来神社に改称
並木の参道を抜けると、高来神社がある。もともとここには高麗寺があった。「高麗」という名称が示すとおり、古代朝鮮の「高句麗」から由来しているといわれている。
江戸時代初期、この寺には徳川家康の神影である東照宮が祀られていた。そのため、参勤交代の際には、東海道を通った大名はここで参詣しなくてはならなかった。
しかし明治になると時代は変わった。それまでの徳川幕府の色合いを消したかった政府は、神仏分離令を交付し、幕府とのつながりのあった高麗寺も廃寺にしてしまったのだ。高麗寺が特定の檀家をもっていなかったのも、政府から見れば都合が良かった。
ちょうど高麗山の山頂には高麗権現社があったので、それを高麗寺本堂に移し、「高麗神社」に改称した。1897(明治30)年、に「高来神社」に改称、現在に至っている。

国道1号線手前の十字路の曲路。この路を行くと高来神社の一の鳥居が 国道際にある高来神社の鳥居。ここからが参道 天台宗の寺・慶覚院 慶覚院に保存されていた仁王像。廃寺になった高麗寺の遺産である。現物は町の郷土資料館に展示されている。高さおよそ2メートル

■火事でこの場所に移った慶覚院
さて、次は今回の散策コースの目的地である「高来(たかく)神社」へ向かう。
今来た道を戻り、国道1号線手前の十字路を左へ折れる。この路を200メートルほど行くと、国道1号際にある一の鳥居のところに出る。
もっと手前を折れれば本殿脇に直接出ることもできるが、やはりここは参道を通ってゴールしよう。
高来神社までの路は正直言ってあまり情緒がない。
鳥居の前に着いたので、そこから参道を通り社殿へ……。途中、天台宗の慶覚院がある。もともとこの寺は北下町(大磯駅に近く1号線より海側)にあったが、1882(明治 15) 年 3月に起きた大磯駅近辺の大火により類焼してしまった。
しかも、その8年後の明治23年には南下町で大火が発生。西風に乗って北下町にまで火の粉が飛んできたという。最初の火事の後、寺を再建していたかどうかは不明だが、「こんな頻繁に火事があったらたまらん」というわけであろう、明治23年の12月に、檀家の多かった高麗地区のこの場所、ちょうど高麗寺の地蔵堂があったこの場所に移転してしまったのだ。(もともと高麗寺の末寺だった慶覚院は、高麗寺が廃寺になったとき、ご本尊だった千手観音を預かっていた、というような縁もあった)

この鳥居の奥に社殿が。右は慶覚院 高来神社本殿。 境内の樹木の枝先にはおみくじが


■高来神社の春祭り、高麗寺祭では「山神輿」が…
高来神社では4月中旬に『高麗寺祭』(こうらいじまち)という春祭りが行われ、「山神輿」(やまみこし)が登場する。これは高来神社から高麗山にある上社まで神輿を担ぎ上げる祭りである。担ぎ上げると言っても、道筋になっている男坂はジグザグ状の急勾配だ。そこを道なりに進まず、もっと直線的に引き上げてしまおうというのだ。
神輿の前棒に付けられた長さ80メートル余りの太い引き綱で、見物客も含め50人以上が力を合わせ引っ張り上げるのである。神輿の左右には、神輿を安定させるための命綱を坂の両側の木に巻きつけ、バランスを取りながら引っ張りあげていく。
最大斜度は60度前後、これは坂というより壁である。絶壁である! そこを人と神輿が一体となって登っていく。こんな祭り、他にあるのか?
神輿を担いで海に入る祭りはいくつもあるけれど、絶壁を引っ張り上げる祭りなんて、聞いたことがない。まさに奇祭である。
だが、誠に残念なことに4月15日に予定していたこの行事も、今年は大震災の影響で中止になっている。しかしながら恒例となっている植木市の方は、16・17日の両日、開催予定。
4月17日は「さかなの朝市&大磯市」を、さらに23日・24日には花の咲く個人のお庭を見学する「オープンガーデン」が予定されている。
自粛ばかりしていては何も始まらない。みんなが下向きになるばかりだ。復興のためにも、ぜひ他のイベントは開催してほしい。そして大磯という町の良さをもっともっとアピールして欲しい。

神社の裏手にある男坂の登り口。この急勾配を直線的に神輿が引き上げられる。 町の無形文化財になっている「山神輿」。(大磯町のHP「isotabi.com」より転載) 平成23年の4月は17日(日)に開催予定の「さかなの朝市&大磯市」。大磯港で第3日曜に開催予定。(大磯町観光推進室より提供) 平成23年は4月23日(土)・24日(日)に予定しているオープンガーデン。西小磯や松韻などの地域で、個人のお宅の庭を開放。丹精込めた花々が観賞できる。写真は西小磯、Y様宅。

大磯は小さな町だけれど歴史があり、独特の文化がある。それらに彩られた街並みが、まだ所々残っている。それらを守りながら、今後、どのような町づくりが行われていくのか? 10年後、20年後、大磯はどんな町になっているのだろう……。楽しみである。
「大磯の小路を歩く」は今回で終了したします。
ご愛読ありがとうございました。

※取材に協力してくださった観光推進室の皆さん、観光協会の皆さん、大磯ガイドボランティアの皆さん、さらに快く取材をさせてくださった地元の方々にあらためて感謝いたします。

取材協力 大磯ガイドボランティア協会
大磯町観光協会
大磯町役場観光推進室・都市計画課
参考資料 「おおいその歴史」大磯町発行
「大磯町史」大磯町発行
「大磯町史研究」大磯町発行
「大磯俳句読本」大磯町観光協会発行
「大磯まち歩きマップ――駅周辺」大磯ガイドボランティア協会発行
大磯町役場観光推進室運営管理HP Isotabi.com(イソタビドットコム)
インターネット上のフリー百科事典「ウィキペディア」
「ふるさと大磯」高橋光著 郷土資料研究会発行
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