大磯町のイメージ画像

(後編)

老木の切り株が語る東海道の松並木
こゆるぎの海で一休みし、マンション「大磯プレイス」の脇を通り再び国道1号線へ戻る。大磯プレイス前の歩道花壇には白い彼岸花も植えられ誠にきれいである。大磯プレイスの隣は伊藤博文の滄浪閣跡であるが、ふと見ると、歩道脇に大きな切り株が保存されているではないか。
立て札によると、この切り株は「平成6年の11月に松くい虫の被害にあい、枯れてしまった松の老木である。樹齢は217年、東海道の歴史を語り続けて欲しいとの気持ちから保存した」と記されていた。
大磯にとって松は大磯らしさの景観を保つ上でも重要な樹木である。町の木(高木の部)にも制定されているほどだ。
国道1号線、松並木沿いにある大磯プレイス。この正面の建物の裏には、低層階の棟が続く。 大磯プレイス前のあたりの歩道にある花壇。白い彼岸花など季節の花が目を楽しませてくれる。 樹齢217年の松の切り株、松くい虫の被害により伐採される。

松は大磯の景観的財産、町では松くい虫に腐心している
ちなみに大磯では、この松の維持管理に平成22年度は2,965,000円(約半分は県からの補助金)の予算を計上している。この金額が多いか少ないのか私にはわからないが、町の規模からすればなかなかのものだと思う。内訳は
●樹幹注入…………1,726,000円
●伐倒………………1,119,000円
●抵抗性松購入………120,000円
樹幹注入というのは松の木に害を与える松くい虫(カミキリムシやキクイムシなど)を防除する薬剤である。この樹幹注入は4年に1回、エリア毎に行われる。
ここではっきり言っておくが、国道1号線の松並木は国の管轄なので、町ではこの1号線の松並木に関してはノータッチ。また西湘バイパス沿いの防風・防砂林などの松も県や国の管轄なので、そちらに任せている。
町で管轄しているのは旧東海道松並木や公園・神社、大磯中学校、旧吉田邸などの官地の他、エリザベスサンダースホームや大磯プリンス、それに個人のお宅など一部の民地も含まれる。
民地といえば前回紹介した役場の隣のマンション「レゾン・デ・パン大磯」なども松がたくさんあった。そこの松も一部は薬剤注入の対象になっているのだ。
滄浪閣前の横断歩道より松並木を眺める。 松に付けられた樹幹注入剤のタグ。いつ何本注入したか記してある。これは国道1号線の松並木の松なので国と管理となっている。 前回紹介したマンション「レゾン・デ・パン大磯」の松にもこんな表示が…。樹幹注入剤を記したものと思われる。
民地の松であっても薬剤注入の対象になっているのだが、その対象となる松の太さに官地とは差がある。民地の場合は胸高の直径51センチ以上でないと適用されないが、官地なら直径31センチ以上が対象となっている。つまり官地にある太さ31センチ以上の松はすべて樹幹注入しているのである。
太さに差があるとはいえ、民地の松であっても自治体のお金で松くい虫対策をしてくれるのはうれしい限りだ。本当は官地並にもっと細い松でも樹幹注入してくれればいいのだが、この薬剤はけっこう高価なのである。60ミリリットルでおよそ2900円。直径が31〜35センチの松ではそれが1回に4本も必要、61〜65センチでは10本も注入するのである。
なるほど、けっこうお金がかかるはずだ。22年度予算では567本を注入する予定になっている。
伐倒というのは、どうしても枯れてしまった木を切り倒し処分する費用。抵抗性松購入とは伐倒した松の代わりに新たな松を植えること。その松も文字通り、松くい虫に強い松を植えている。町では今年度140本分の苗木の予算を計上している。

別邸ではなく本邸だった滄浪閣、伊藤博文は大磯の住人。
滄浪閣跡、介護施設が建てられると言われているが、平成22年10月現在、以前の建物はそのまま残っている。

さて、マンション「大磯プレイス」の隣は、滄浪閣跡である。日本の総理大臣第1号である伊藤博文がこの場所に居を構えたのは1896(明治29)年、当初は別邸であったが、翌年、東京都品川からここに本籍を移したことから本邸となった。
もともとこの滄浪閣、小田原にあったのだが、小田原に行く途中に大磯に立ち寄った伊藤博文が白砂青松のこの地を気に入り、奥様(梅子)の病気療養のためにと、この地に別荘を建てたのだ。
本籍を大磯に移すにあたり、博文公が直々に町役場を訪れ、町長に「自分も今度ここの町民になった。大磯のために尽くすつもりだ。町のためになることはなんでも遠慮なく申し出るがよい」と言ったという。
敷地は5500坪ほどあったが、建物は他の別邸と比べるとかなり質素だったということだ。
鳥打ち帽に着物という簡単な服装でよく散歩に出かけては、農家で米麦の値段や野菜のでき具合を聞いたり、夜の海岸へ出かけ地引き網を見物し、漁夫に話しかけたという。
また博文公が大磯小学校に入学する児童に一人10銭を預け入れた郵便貯金通帳を入学祝いにくれたのは有名な話。彼が亡くなってからも西園寺公望やその他の篤志家が遺徳を引き継いだ。ちなみに当時、米1升の値段が13銭くらいだった。

博文公の死後、梅子夫人が住んだが、その後、持ち主がいくつか代わり、1951(昭和26)年には西武鉄道に売却、昭和29年には大磯プリンスの別館となった。
近年は結婚式場・中華料理店として営業していたが、西武グループの事業整理により2007(平成19)年に売却。町でも購入を試みたが予算的に折り合いが付かず、結局、現在は介護事業業者の土地となっている。

今も残る別邸の南側には松林の小径が
路地を挟んで隣が西園寺公望・旧池田成彬邸である。
1号線からだと何も見えないので、海に向かう路地に少し入ってみると洋風の邸宅が門扉越しに顔を出す。
これが池田成彬(しげあき)邸である。
もともと、この場所は伊藤博文の後を受けて総裁となった西園寺公望が別邸を構えた場所だ。博文が大磯に居を構えた3年後の1899(明治32)年、「隣荘」と称した別邸を公望が建てのだ。
公望が去った後、ここにやって来たのが池田成彬である。大正6年頃のことだという。池田成彬は三井銀行の大番頭とした活躍し、後に日本銀行総裁になった人物だ。
彼が西園寺邸跡に洋館を建てたのが昭和7〜8年ごろのこと。それが現在も残っているのである。

滄浪閣跡と池田成彬邸の間の路地。この路を行くと別邸だった洋館が垣間見える。 池田成彬邸は一般開放はされていない。 滄浪閣跡と池田成彬邸の間の小路、突き当たりから「大磯こゆるぎ緑地」が始まる。 大磯こゆるぎ緑地。松林の間から海を見ながら歩く散歩道。
門扉は大きく建物の上方しか見えないが、当時としたら洋風建築の粋を結集した建物かも知れない。
ここまで来たついでに、そのまま門扉に続く塀に沿って、路地を海に向かう。10月初旬であるが、この時期、足下には松葉が敷きつめられたように落ちている。今でも落ち葉がけっこう目に付くが、冬ともなれば広葉樹の落ち葉で地面が見えなくなるほどになる。
路地の突き当たり、右に曲がると「大磯こゆるぎ緑地」である。説明板によると県が行っている緑化協力金制度による第1号緑地だということだ。
小径が70メートルほど続いているので、歩いてみると砂地の上に黒松の林の中にトベラやハマヒサカキなどの海浜性植物が植えられ、松並木越しに海が広がっている。小径の右手は池田成彬邸の敷地であるが、敷地内は鬱蒼として建物も見えない。
大磯こゆるぎ緑地


「歴史ある大磯らしさ…」を開発コンセプトにした分譲地「松陰」
「大磯こゆるぎ緑地」を抜けると突き当たる。左手に行けば西湘バイパス下をくぐり海に出る。右手にちょいと行き、一番海沿いの路を二宮方面に進む。
このあたり閑静な住宅地で、ところどころ洒落た家が目につく。直線の路を200メートルほど進むと、突如風景が一変。
まず路面がコンクリートから石畳に変わる。そして電柱もない。しかも建っている家自体がとっても高級そうだ。比較的オープンな庭には花や樹木が植えられ、車庫には外国車が目立つ。中には暖炉のある家があるらしく、薪が積まれ煙突が見える。日本の家で暖炉ですよ。あえて薪ですよ。かなりの高級住宅地である。
この分譲地は以前、清水組(現・清水建設)4代目・清水満之助の別荘跡地だった。そこを三菱商事が購入し、設計施行はもちろん清水建設、さらに街並みをデザインするスタジオランドジャパンという会社が加わり共同開発された。
区画数40。分譲地は「松陰」と名付けられ、2003(平成15)年、販売が開始された。「歴史のある大磯らしい住環境を将来にわたって維持したい」というコンセプトのもと、町との協議で「地区計画」や「緑地協定」が策定されている。
そのお陰で、家の周りは塀やフェンスを設置せずに植栽で整備する旨や、各家に1本以上の高木によるシンボルツリーなどを植えることが求められている。
そんな訳で、この一帯はとても美しい。でもとても高そう。
後からわかったことだが、1号線からの入口には「松陰」という自然石を利用した標石がどーんと鎮座していた。
高級分譲地「松陰」。電線やケーブルは地中化されている。 保存樹木を生かしたクルドサック(回遊式庭園道路)。ここで道路が終わるので車を回転させる。

八坂神社の裏から海へ向かう隠れた小径
八坂神社 神社の社脇から海に向かう緑の中の小路。 分譲地「松陰」のクルドサックとこんな地味な階段で小路はつながっている。

「松陰」の隣が今回の散歩道のゴール地点、八坂神社である。海が近いので境内はけっこう砂が目立つ。水盤舎(参拝者が身を清めるために手水を使う所)のあたりは完全な砂地になっている。
お参りしようとして社に行くと、その脇に私好みの細ーい路地が海方向へと続いているではないか。今まで歩いた中でもダントツに細い。あまり手が入っていないらしく、路地の脇に植えられた植物で覆われてしまいそうだ。
ちなみに進んでみると、先ほどの分譲地「松陰」と隣の宅地の間を通り、海辺までまっすぐ伸びている。
途中、見れば松陰のクルドサック(車がくるりと回れるようになっている場所)とつながっているのに気がついた。
私がこの細道のから戻ってくる時、ちょうど散歩する方にお会いした。この方も松陰に住んでいるという。
別邸時代からの通路かもしれないので、ぜひ残して欲しい。

次回は線路の北側、東小磯、西小磯を歩きます。 次へ

■お知らせ 「海辺の別荘めぐり」を開催
平成22年10月20日(水)午前中、大磯ガイドボランティア協会では『海辺の別荘めぐり』を開催。地元ならではのエピソードなども聞けそう。詳しくは当協会のホームページをご覧ください。


取材協力 大磯ガイドボランティア協会
大磯町観光協会
大磯町役場観光推進室・都市計画課
参考資料 「おおいその歴史」大磯町発行
「大磯町史」大磯町発行
「大磯町史研究」大磯町発行
「大磯俳句読本」大磯町観光協会発行
「大磯まち歩きマップ――駅周辺」大磯ガイドボランティア協会発行
大磯町役場観光推進室運営管理HP Isotabi.com(イソタビドットコム)
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